教員になる 〜理想は暗殺教室の殺せんせー〜

教員免許も持っていない某会社員が公立の教員になるまで

造船業で学んだこと

社会人生活での経験とそこから学んだことを書いてみます。

私は某造船会社に入社しました。設計の仕事をしています。

5年間勤務のざっくりした流れを書きます。

 

[1年目]

最初は社会人のマナー研修。電話の取り方とか。はっきり言って役に立たなかった。

その後関連部門先での実習。仕事の流れとか実際にどうやって船が作られていくのかとかを目で見て学べたことは大きかった。あと仕事は人と人とのつながりなんだと認識した。だからこそ他のどの仕事でもコミュニケーション能力が大事と言われるんだなと思った。

 

[2年目]

実際に設計の仕事を始める。

出身校も船関係ではなかったので本当にゼロからスタートだった。役に立った知識は数学の三角関数(サイン コサイン タンジェント)くらいかな。

なので最初は苦労した。すぐに辞めたくなった。しかし続けてみた。「3年は続けた方がいい」とよく聞いていたこともあり、何となく3年は続けてみて、それでも辞めたいと思えば辞めよう、そう思った。

 

[3年目]

仕事をこなしていくうちに少しづつ力をつけていくことができた。自分でもわかるくらいに成長を実感することができた。

この時は1年目の実習先の上司の言葉に言われたことを実行していた。

「例えば1日1個でいいから、何かを覚えよう。それを毎日積み重ねていこう。そうすれば1年で230個、5年で1150個の知識が身につく。焦らずに地道に積み重ねることが重要だと思う。」

3年目くらいから積み重ねてきたものが芽を出し始めた気がした。

 

[4年目]

難易度の高い案件を任され始めるようになった。

「何で自分にだけ仕事が来るんだ。。」というマイナスの気持ちは10%くらいあったけど、それよりも「絶対にこなしてやる」という気持ちが90%くらいありプラス思考で取り組むことができた。今振り返ってみて何でこんなに頑張れたんだろうと考えると仕事内容は楽しく、また期待されていると感じていたので、その期待に応えたいと思っていたような気がします。

ボーナスを決める係数も最高評価をつけてもらい、頑張れば見てる人は見てくれて評価してもらえるんだと嬉しかった。

 

[5年目]

会社の業績が悪化しボーナスのカットが始まる。こんなに頑張っているのに、他の人が足を引っ張れば報酬も下がるのかと厳しい現実を知った。企業に所属している以上、自分の努力だけではどうにもならないこともあるのだと知ることができた。また、こんな状況こそ他チームと協力していく必要があるはずなのに、誰もかも自分の事しか考えていないと思った。そこに組織としての未来はないと判断して退職を決意した。

 

まとめると

⑴仕事は人と人の繋がりでできている→コミュ力大事。

⑵「仕事が嫌なら我慢せず辞めた方がいい」と聞くけど数年は我慢してみてもいいかもしれない。

⑶日々の積み重ね→ゼロからでもなんとかなる

⑷プラス思考で前向きに取り組む→そのためにはやりがいを持つこと

⑸やりがいだけではどうにもならないこともある→その組織に将来性はあるかどうかの見極めも重要

 

以上です